日本社会の特異性にどう対処すべきか
一般財団法人 持続性推進機構
理事長 安井 至
はじめに
いささか唐突ではあるが、2015年の後半は、人類史上に永遠に残る時点であったと思う。SDGsの国際的合意、パリ協定の合意と脱炭素化の共有、そして、TCFDの設立、などがあったからである。金融関係による企業へのESG投資とリスク情報に関する開示請求の動きなどが大きなドライビングフォースになった。しかし、日本の企業人の多くは、このような事象の連鎖がこの時点を起点として起きるとは、その時点で、恐らく思っていなかったのではないだろうか。
筆者自身の理解も不十分であったことは否めない。それでも、SDGsとパリ協定の根本思想を知り、そして、速やかなノルウェーの年金機構の対応などを見て、やはり、そう来たか、と納得できることがあった。そのような感じ方ができた理由は、一つは、気候変動問題に対するIPCCを中心とした世界的な取り組み方などをフォローしていたからだろう。
そして、それよりも大きな要素として、2014年から、EUの主要国を巡る極力自力でドライブをする旅を繰り返し、世界遺産のかなりの数を見物した効果が、その裏にあったのではないか、と感じている。すなわち、日本の文化とEU諸国の文化は、やはり、決定的に違うということを、旅の中で認識できたからであったように思っている。
もっとも顕著な相違点は何か。それは、パリ協定の根本原則である「気候正義」に関する理解度、そして、SDGsの根本思想である「Transforming Our World」に対する反応、さらに、企業行動として、「インターナル・カーボン・プライシング」をすでに導入した多くの西欧企業とまだまだ遅れている日本企業であると言えよう。
このような差異が生じた根本的な理由は何か。これを解析し、今後、同様な事態が生じたときに対応できるように社会を変化させておくことが、日本を「永遠の極東の孤島化」しないために必須事項のように思える。
1.パリ協定の「気候正義」を理解することの困難さ
パリ協定が基本的な概念として採用している言葉、それが気候正義であることは、日本社会においても、そろそろ知られるようになったかもしれない。しかし、正義という言葉の解釈は、キリスト教徒と日本のような多神教教徒とはかなり違う。しかも、日本という国では歴史的に、「正義を語らないことが正義である」といった感覚があるような気もする。要するに、単一の定義で正義を定めたことが、太平洋戦争突入につながったという思いがあるからかもしれない。
キリスト教の正義を多神教徒を自称する筆者が説明することは明らかにおかしなことではある。しかし、いくつかのポイントを述べたい。例えばデンマークはパリ協定によって、元気になった国の筆頭のように思えるが、小学校における教育の最大の目標が「正義とは何かを理解すること」としている国のようである。宗教は、キリスト教プロテスタントのルーテル派が国教で、その教会に国民の80%が所属している。パリ協定のゴールは、CO2のNet Zero Emissionにあるが、これまで大量の風力発電を導入してきたデンマークの方向性は、まさに、正統派だと自認しても当然とも思える。
国連のWorld Happiness Reportによれば、デンマークは、スイス、アイスランド、ノルウェー、フィンランドなどと並んで、幸福度ランキング上位の常連である。ちなみに、日本のランキングは、2018年では54位である。この違いが、実は、パリ協定に対応する気分の相違に起因しているように思うのである。
2.SDGsの「Transforming Our World」を無視する日本
日本企業においても、SDGsへの取り組みがかなり普及したと言える。しかし、その取組の内容となると、相当に心許ないものがある。「17ゴールから適当なものをいくつか選択し、自社が何をやっているか、そのゴールとの関係を記述して終わり」、という感じなのではないか。
SDGsへの取り組み方は、実は、2015年の国連での合意文書にしっかりと書かれているのだが、その正確な日本語訳を見つけたことがない。そもそも、内閣府による取り組み方の文書も、その合意文書の本意を表現していないと思う。
合意文書では、5Pの重要性が書かれているが、ここまでは、内閣府の文書にも無い訳ではない。かなり日本独自なものになっているが、以下の通りである。
○P1(People 人間)
あらゆる人々の活躍の推進
健康・長寿の達成
○P2(Prosperity 繁栄)
成長市場の創出、地域活性化、科学技術イノベーション
持続可能で強靱な国土と質の高いインフラの整備
○P3(Planet 地球)
省・再生可能エネルギー、気候変動対策、循環型社会
生物多様性、森林、海洋等の環境の保全
○P4(Peace 平和)
平和と安全・安心社会の実現
○P5(Partnership パートナーシップ)
SDGs実施推進の体制と手段
【以上、内閣府による「SDGs実施指針」より】
しかし、これは、日本という国家が取り組む場合の5Psであって、個別の企業が取り組むときの5Psは、自ら決めなければならないが、そのようなメッセージが無いため、誤解している企業が多いように感じる。
3.インターナル・カーボンプライシングへの対応
気候変動対策にそれぞれの企業が自主的に取り組むことが重要なことは言うまでもない。何に取り組めば、自主的に取り組んでいると言えるのだろうか。いくつかの対象があるとは思うものの、何よりも明確な指標が、インターナル・カーボンプライシングに取り組んでいるということではないだろうか。
環境省も、企業の取り組みを広げる普及策を行っている。取り組む意思のある企業を集めたり、導入済み、あるいは、今後2年以内に導入予定の企業を把握したりしている。どうやら、昨年のデータでは、導入済と導入予定を合わせて129社とのこと。
できれば、国に教えてもらうというスタンスではなく、自分で検討し、自分独自の方法論を開発するといったスタンスを取ることをお薦めしたい。そうでないと、結果的に自社の競争力の向上には繋がらないと考えている。
4.結論
様々な状況を見ていると、日本という国は、極めて特異な国ではないか、という感覚が増大してくる。どのような分野でも、国を頼りにして企業が動いているように見えてくる。確かに、日本企業の継続年数は、諸外国に比べるとかなり長いという特異な国である。そのぐらい、変化のスピードが遅いからであり、その原因の一つが、国が細かい法律を作って勝手な行動を縛るからだろうと考えている。
昨年の8月末から9月に掛けて、アイルランドで、最後の欧州ドライブ旅行を楽しんできた。この国がこれほどの衝撃を与えてくれるとは、全く思っていなかった。しかし、歴史を考えると当然なのかもしれない。要するに、支配者が信用できないという長い長い歴史を持った国なのである。そのため、ほとんどすべてが自己責任の国であった。
例を2つ上げる。モハーの断崖という観光地は、写真1のように高さ150~200mの断崖が続いているところである。我々が行った部分は、しっかりとした転落防止壁が存在していたが、隣を見ると、どうも、何も無いところに人がいるように見えた。そこで、超望遠レンズで写真を撮ってみると、写真2のような光景が飛び込んできた。このような現状のため、毎年、自殺あるいは事故で、10~15名が死亡しているとのこと。しかし、市民から柵を作れという要求はでない。
写真1:アイルランドのモハーの断崖 高さ150~200mの崖が続く。◯のところに何か人の気配がある。
写真2 拡大してみると、なんと崖から1m以内のところに座っている人がいる。
写真3は、アイルランドの普通の田舎道である。速度制限を見ていただきたい。この中央分離帯の無い道で100km/hである。黒い車が運転していたアウディであるが、100km/hは、怖くてとても出せなかった。こんな制限速度は、英国系の国で多い。オーストラリアのノーザン・テリトリーでは、この程度の道で130km/h制限のところを経験した。過去には、速度無制限の部分があったらしいが、最近、さすがに廃止されたらしい。
写真3 アイルランドの田舎道。速度制限はなんと100km/h、そんなスピードは怖くて出せなかった。
国の個性が、その将来を決める時代になったと考えているが、日本の現状では、今後の経済成長は望めないように感じている次第である。日本が、今後も世界全体での競争に勝つためには、まず、「自己責任という社会」の実現に向けて変化をしていく必要があるのではないだろうか。なんでも政府依存では、この国の未来は無さそうに思えるのである。