EU・企業サステナビリティ報告指令の影響
上智大学 名誉教授
上妻 義直
1.EU・非財務報告指令の改正
EUでは、会計指令(2013/34/EU)によって、公益性の高い一部の大規模会社(上場会社、銀行、保険会社等)に制度的な財務報告でのESG情報開示を義務付けている。その根拠法令となる非財務報告指令(2014/95/EU)が現在改正作業に入っており、2021年4月21日に改正法案となる「企業サステナビリティ報告指令案(COM (2021) 189final)」が公表された。今後は欧州議会と閣僚理事会での採択を経て、2021年中に制定の見込みである。同指令は加盟国での国内法化が必要で、その期限は2022年12月1日と定められており、2023年1月1日から適用開始となる。それまでもう1年半余しか残されていない。
なぜ外国の法律の適用開始期日を問題にするかといえば、それが日本企業に少なからぬ影響を与える可能性を否定できないからである。企業サステナビリティ報告指令案には、1)適用範囲の拡大、2)サステナビリティ報告基準への準拠、3)ESG情報(サステナビリティ報告での開示情報)1に対する保証の義務化、4)ESG情報の電子様式化という4つの重要な改正ポイントがあるが、そのいずれもが何らかの形で日本企業の企業報告実務に影響を及ぼしかねない。とくに、非財務報告指令の改正が欧州グリーンディールの一環として行われた2ことは、そうした懸念を増幅させる一因になっている。
欧州グリーンディールは気候変動対策や資源効率の向上等により持続可能な社会の構築を目指すEUの新成長戦略である。その達成には今後10年間にわたり1兆ユーロ(約130兆円)の追加投資が必要であるとされており3、EUは、この資金需要を満たすために、サステナブルファイナンスという金融政策パッケージによって、公共・民間部門の双方から必要な投資資金の導入を促そうとしている。
サステナブルファイナンスの重要な政策手段である法律に「金融サービス部門のサステナビリティ関連情報開示に関する規則(SFDR)」がある。SFDRは、投資会社、ファンドマネージャー、保険会社等の金融市場参加者または投資・保険アドバイザーに、投資意思決定やアドバイザー業務に際してサステナビリティリスクを考慮させると共に、販売する金融商品のESG情報開示を義務付けるEU規則(Regulation(EU)2019/2088)である。そのため、この規則の規制対象となる投資会社等は、契約締結前交付書面や会社のウェブサイト上に、一定のESG情報を開示しなければならない。
投資会社等が投資意思決定のサステナビリティリスクを特定するためには投資先企業のリスク評価が不可欠である。そうしたリスクには、投資先企業が環境・社会に与える影響だけでなく、サステナビリティ課題が投資先企業の財務諸表に与える影響も含まれており、通常これらの影響に関する情報は投資先企業の企業報告や直接的なエンゲージメントを通じて収集することになる。しかし、現行の非財務報告指令によるESG情報の品質は投資家の情報ニーズを充足できる水準にはなく、投資家やステークホルダーが重要だと考える情報が提供されないことも少なくない4。こうした制度の欠陥を補正し、透明性のあるESG情報の提供を前提としてサステナブルファイナンスを促進することが、非財務報告指令の重要な改正目的の一つ5である6。
サステナブルファイナンスを促進する上で、また、それによって欧州グリーンディールを成功に導くために、制度的な財務報告で開示するESG情報の品質と信頼性の向上が必要であるならば、そのロジックは欧州投資会社等の投資先となる域内企業だけでなく、同じく投資先となる域外企業にも適用されるはずである。たとえば、欧州投資会社等の投資ポートフォリオに日本企業が含まれる場合、当該投資会社等が日本企業のESG情報に高い品質と信頼性を求めない保証はあるのだろうか。また、SFDRで義務付けられるESG情報開示に投資ポートフォリオに含まれる日本企業のESG情報は必要ないのだろうか。
2.適用範囲の拡大
企業サステナビリティ報告指令案は、非財務報告指令よりも適用範囲を拡大し、上場・非上場を問わず全大規模会社と中小規模上場会社(零細規模会社を除く)を規制対象に含めた。その中にはEU市場で上場する域外企業とその子会社も含まれる。これによって適用対象は従来の11,600社から49,000社に激増し、売上高ベースで有限責任会社の75%(非財務報告指令の場合は47%)がESG情報の開示規制を受けることになった7。
従来は、一部の大規模会社だけに限られていた適用対象に、ある例外(零細規模会社と非上場の中小規模会社)を除いて、すべての会社が含まれるようになったと考えてよい。つまり、会計指令に準拠して財務報告を作成する会社は、原則としてESG情報を開示しなければなくなったのである。
また、SFDRのような制度の存在を考えれば、たとえ中小規模でも上場会社が必要なESG情報を開示しなければ、投資ポートフォリオから除外されるリスクがある。このリスクは欧州投資会社等の投資ポートフォリオに含まれる日本企業にもあるわけで、企業サステナビリティ報告指令案の適用範囲でなくても、投資会社等からのエンゲージメントで情報提供を要求される可能性は高い。それを拒絶すれば投資対象から除外される。
さらに、求められるESG情報の内容・品質・信頼性は企業サステナビリティ報告指令案の開示水準と同等に要求される危険性があり、投資対象のステータスを維持しようとすれば、その要求に応えなければならない。後述するサステナビリティ報告の記載事項等を見れば、それが多くの日本企業にとって提供困難な情報を含むことは明らかである。また、デューディリジェンスやバリューチェーン情報は取組自体が行われていないことも少なくない。
この問題は欧州投資会社等の投資ポートフォリオに含まれる日本の大企業だけに留まらない。大企業が欧州からの情報提供要請に応えようとすれば、ESG情報の多くはバリューチェーンベースで作成しなければならず、そのために必要な取組と情報開示を取引先にも求めなければならないからである。そうした取引先が中小企業であってもこの影響を免れることはできない。サステナブルファイナンスを基軸とするEUのサステナビリティ報告規制は日本の産業界に大きな影響を与えかねないのである。
3.サステナビリティ報告基準への準拠
企業サステナビリティ報告指令案の開示規定は、1)開示原則(会計指令19a条(1))、2)必須の記載事項(同19a条(2)(a)~(g))、3)サステナビリティ報告基準(同19b条)から構成されている。
開示原則では、会計指令のマテリアルな情報の選択基準である二元的重要性基準を適用して、財務報告中のマネジメントレポートに含めるべきサステナビリティ報告に、適切なESG情報を開示するよう求めている。会計指令の二元的重要性基準は、IFRS基準のような財務的重要性(サステナビリティ課題が自社の事業・財政状態・経営成績に与える影響)だけでなく、企業の事業活動が環境や社会に与える影響(自社がサステナビリティ課題に与える影響)も重要な情報として開示させる点で先進的であり、IFRS財団が2021年11月のCOP26で設立を公表予定であるサステナビリティ報告基準審議会(SSB)においても、その考え方を将来的に導入する可能性について含みを残している8。
開示原則の細則に相当するのが必須の記載事項である。ここではサステナビリティ報告で開示が義務付けられる具体的な情報が7項目特定されている(図表1参照)。これらは主としてマネジメント関連のESG情報であるが、その内容にTCFD勧告の影響が色濃く表れており、企業サステナビリティ報告指令案がTCFD準拠の立場であることを示している。
図表1 企業サステナビリティ報告指令案の開示規定
特筆すべきは、パリ協定の努力目標である1.5℃制約が遵守目標になっている点である。ここではビジネスモデル・戦略の強靱性をシナリオ分析で自己評価するだけでなく、将来的に1.5℃制約に適合するビジネスモデル・戦略への転換計画を立案するように求めている。欧州グリーンディールに沿った開示規定ではあるが、現行の様々な非財務報告基準・ガイドラインや報告実務には見られない厳しい基準であることは間違いない。これが企業報告実務としてグローバルスタンダードになった場合、日本企業への影響は著しく大きいものになる。また、EUの影響力を考えれば、その可能性はかなり高い。
さらに、2021年6月に上程が予定されているESGデューディリジェンス義務化法案と整合するように、デューディリジェンス関連の情報開示を求めていることも、日本企業には看過しえない点である。これは、今後、産業社会において人権を含むESGデューディリジェンスが一般的な慣行となることを意味しており、その体制構築が著しく遅れている日本にとって大きな脅威である。
図表2 EU版サステナビリティ報告基準の開示規定
その他事項A(19a条(2)para2・3)・同B(19a条(3))・同C(19a条(4))は開示にあたっての注意事項であるが、とりわけ重要なのはその他事項Cである。その他事項Cでは、サステナビリティ報告で開示する情報は、欧州委員会が開発することになるEU版サステナビリティ報告基準に準拠することを求めているからである。サステナビリティ報告基準では環境・社会・ガバナンス分野で開示すべき情報を特定している(図表2参照)。
付則で重要なポイントは連結子会社の適用免除規定である。日本企業のように、親会社が第三国で設立されており、その現地法人がEU所在で企業サステナビリティ報告指令案の適用対象となる場合でも、当該現地法人のESG情報が日本の親会社の有価証券報告書等で連結されていれば、一定の条件下で同指令案が適用免除になる。しかし、その条件とは、日本の親会社の連結ESG情報が企業サステナビリティ報告指令案と同水準の報告基準で作成されていることなので、それを満たすのは困難である。
4.保証の義務化
企業サステナビリティ報告指令案がサステナビリティ報告に保証の受審義務を課したことも大きな衝撃である。これまで噂されていた内容に沿うものではあるが、実際にそうした法規制が明文化されると、制度的な財務報告の監査規定に関する彼我の違いは埋めようもないくらい大きなものであると嘆息せざるをえない。
保証の義務化に関して、企業サステナビリティ報告指令案は、会計指令の監査規定と監査指令(2006/43/EC)を修正している。監査指令は、制度的な財務報告の法定監査人(監査法人を含む、以下同じ)の資格要件・職務内容を規定する法律である。
会計指令の修正では、監査規定である34条(1)に、34条(1)(a)(ii)(aa)を追加し、法定監査人がサステナビリティ報告について限定的保証により意見表明することを義務付けた。限定的保証の主題事項は、サステナビリティ報告の1)会計指令への適法性(サステナビリティ報告基準への準拠性を含む)、2)報告情報の特定プロセス、3)電子様式規定(19d条)によるタグ付け義務の適法性、4)タクソノミー規則(Regulation(EU)2020/852)の報告規制9に関する適法性である。
この保証規定には二つの注目すべき点がある。一つは最終的な目的が合理的保証の義務化であること、二つ目はサステナビリティ報告の保証業務を原則として法定監査人に課していることである。
(1)合理的保証の義務化
企業サステナビリティ報告指令案は策定前に影響評価(impact assessment)を実施している。その結論は、将来的に合理的保証の義務化に進むオプションを残しながら、同指令案の全適用会社に限定的保証業務の受審を課すというものであった10。
その背景には、同じ財務報告中で、財務諸表には監査という形態で合理的保証を義務付けるのに反し、サステナビリティ報告に同じ水準の保証義務を課さないならば、開示したESG情報の信頼性を損なって想定利用者のニーズを満たせない、という問題意識がある11。しかし、最終的な目的が、財務諸表に監査を、サステナビリティ報告に合理的保証を義務化することであるとしても、サステナビリティ報告に関して社会的に合意形成された共通の保証基準が存在しない現状では、異なるカテゴリーのESG情報(とくに将来見通し情報や定性的情報)について、合理的保証が意味するものへの理解や期待が異なるリスクを生じる恐れがある12。そのため、当初は限定的保証の義務化からスタートして、その後に保証水準を引き上げる漸進的アプローチ(progressive approach)を採用したという。
同じ財務報告のESG情報が財務諸表よりも保証水準が低い問題は機関投資家からも改善が求められていた13。また、IFACとIIRCは2021年2月から統合報告の保証に関する新プロジェクトを開始しており、最初の研究成果において、プロジェクトの最終的な目標は「統合報告と統合報告に対する合理的保証の広範な普及である」と明言している14。
合理的保証の将来的な義務化に向けて、欧州委員会は独自の保証基準を策定する姿勢を見せている。企業サステナビリティ報告指令案で修正される監査指令に26a条を追加し、限定的保証の保証基準を策定する旨と、それまでの間は加盟国の国内保証基準等を適用する旨を指示しつつも、同じく新規追加の26a条(3)において、「欧州委員会が合理的保証に関する保証基準を採択した場合は、サステナビリティ報告に関して表明する意見は合理的保証業務にもとづくことを要す」と定めているからである。
ESG情報の合理的保証に向けて世界が動き始めている中で、限定的保証すら付与されていないESG情報は、企業間の国際競争を勝ち抜く上でどれほど見劣りするものなのか、誰が考えても明白であるように思われる。
(2)法定監査人による保証
前述の監査指令26a条は、加盟国に対して、サステナビリティ報告の保証業務を法定監査人に義務付けることを求めている。つまり、法定監査人は、制度的に財務諸表監査とサステナビリティ報告保証の実施義務者なのである。財務報告中の財務諸表とESG情報を同水準で保証するという立法趣旨から考えれば、これも当然の帰結かもしれない。
この件に関して、企業サステナビリティ報告指令案では、法定監査人はすでに財務諸表とマネジメントレポートを検証(verify)しており、法定監査人がサステナビリティ報告を保証することは「財務諸表とサステナビリティ情報との関連付け(connectivity)と一貫性(consistency)を確保する上で役立つ」としている15。
しかし、企業サステナビリティ報告指令案は、法定監査人が監査業務も保証業務も受任することになれば監査市場の集中化が進み、その結果、監査人の独立性が脅かされたり、監査報酬の高騰を招く懸念があるとして、この保証業務を法定監査人以外の一定の資格要件を充足する者にも開放し、報告企業に幅広く選択させることが好ましい、と結論づけている16。
持続可能な社会への移行が進むにつれて、投資家の意思決定情報としてのESG情報の重要性が著しく高まった結果、財務諸表監査の守備範囲が財務報告に開示されたESG情報にまで及んできたということである。
5.日本企業に必要な準備
こうしたEUを中心とする国際動向から遅れることで、日本企業が実害を被らないようにするためには、まず行政が主導して日本企業に適合的なルール作りをする必要がある。しかし、そうした対応が迅速に行われた試しはこれまでも少ないのが日本の実情である。
ではどうすればいいのか。IFRS基準を自主適用する日本企業が200社超あるように、企業の自助努力がもっとも確実な対応手段である。少なくとも海外企業との国際競争にさらされている日本企業は、情報開示面でも海外動向を的確にキャッチアップして、社内システムを整備する態勢を十分に整えることである。また、職業会計人等の専門家は、正確な情報をクライアントに伝え、そうした日本企業の準備作業をサポートしなければならない。それまでに残された時間が1年半余しかないのである。
※注釈
1: |
本稿では「ESG情報」をEU法令の「サステナビリティ情報」と同義で用いている。 |
2: |
European Commission (2020a), Consultation Document, Review of the Non-Financial Reporting Directive,
p.4. |
3: |
European Commission (2020b), Press release, "Financing the green transition: The European Green Deal Investment Plan and Just Transition Mechanism". |
4: |
European Commission (2021b), Questions and Answers: Corporate Sustainability Reporting Directive proposal. |
5: |
非財務報告指令の改正目的には、短期的成果の重視(short-termism)に陥っているEU域内企業の企業統治を、長期的な価値創造の重視(long-termism)に転換させるためのサステナブル・コーポレートガバナンス政策も含まれている(EY (2020), Study on directors' duties and sustainable corporate governance, Final Report.)。 |
6: |
European Commission (2021b), op.cit. |
7: |
European Commission (2021a), Proposal for a DIRECTIVE OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL amending Directive 2013/34/EU, Directive 2004/109/EC, Directive 2006/43/EC and Regulation (EU) No537/2014, as regards corporate sustainability reporting, p.10. |
8: |
IFRS Foundation (2020), Consultation Paper on Sustainability Reporting, p.14. |
9: |
タクソノミー規則では、非財務報告指令の適用対象となる会社に、持続可能な経済活動に関する情報開示を義務付けている。 |
10: |
European Commission (2021a), op.cit., p.10. |
11: |
Ibid., p.37, 前文(53)。 |
12: |
Ibid. |
13: |
欧州の機関投資家フォーラムであるEUMEDIONは、2020年6月に、外部監査人がマネジメントレポート全体に限定的保証を実施し、特定の非財務的KPIには合理的保証を実施するように求める提言を行っている(EUMEDION (2020), Position paper, "Towards a global, investor focused standard setter for corporate non-financial reporting")。 |
14: |
IFAC and IIRC (2021), Accelerating Integrated Reporting Assurance in the Public Interest. |
15: |
European Commission (2021a), op.cit., p.38, 前文(54)。 |
16: |
Ibid. |