移行計画はどのように開示するのか

-その(1)-

 

(本稿はその(1)とその(2)から構成されており、その(2)はコラム42 として後日公開します) 

 

上智大学名誉教授

上妻 義直

 

1. 新たなESG課題となった移行計画

 

 近年グローバルに関心を集める気候関連情報に移行計画(transition plan)がある。最近の株主総会では、会社が自社の移行計画に株主の承認を求める事例や、株主が移行計画の公表を会社に求める事例 1が報告されている(PRI, 2022)。

 

 移行計画は、企業がコミットした気候目標を達成するために戦略的に策定し、ビジネスの脱炭素化に向けた方法と道筋を投資家等の財務情報利用者に示す行動計画である2。ただし、その中には、脱炭素化への具体的なGHG排出量削減策や行程だけでなく、脱炭素社会と整合する事業戦略やビジネスモデルへの変更も含まれる。

 

 移行計画が注目されるようになった背景には投資家の要請がある。世界が脱炭素化へ向かう中で、投資先企業の気候変動対策が不十分であれば投資収益が大きく損なわれ、投資家のポートフォリオは毀損する。それを回避しようとすれば、エンゲージメントによる直接対話や株主総会における投票行動によって、企業に適切な対応を促さなければならない。そうした対応の一つが移行計画の公表である。

 

 監査法人・英国EYの調査3によれば、FTSE100構成銘柄4のうち、2050年ネットゼロ目標をコミットする会社は80%を超えるにもかかわらず、移行計画を公表する会社は5%しかないという。また、2022年度にCDPの気候変動質問票に回答した18,600社余のうち、1.5℃制約を目標とする移行計画を部分的にでも策定した企業は4,100社余あったが、移行計画に関する全項目について必要な詳細を回答した企業は81社に過ぎなかったという(CDP, 2023a)。つまり、直近の調査ですら、信頼できる移行計画を策定したのは、調査サンプル全体のわずか0.4%なのである。

 

 移行計画がなければ、投資家は企業がどのようにネットゼロ目標を達成するのかを把握できず、脱炭素化が期限内に達成できるか否かも判断できない。その結果、投資ポートフォリオの気候リスクは管理不全に陥る危険性が高くなる。

 

 こうした問題の解決に向けて、2020年に英国の投資家が"Say on Climate"という株主行動に関する取り組み(initiative)5を開始し、企業に移行計画の公表を促すキャンペーンを展開した。"Say on Climate"キャンペーンは企業や投資家の支持を幅広く集め、現在では「もの言う株主行動(shareholder advocacy)」の世界的なムーブメントになっている。

 

 "Say on Climate"の主旨は企業にネットゼロへの移行を適正に管理するよう求めるところにある。それは、GHG排出量情報を毎年開示する、移行計画を策定・開示する、移行計画を株主総会で承認する、の3ステップから構成されており6、移行計画の進捗状況を株主が投票行動を通じて評価する仕組みである。

 

 "Say on Climate"による移行計画の承認投票は勧告的決議(advisory vote)または非拘束的決議(non-binding vote)7と呼ばれる投票形態で行われる(Jossep, S. et. al., 2021)。そのため、投票結果は会社を拘束せず、株主の全体的な意見を表明するだけにとどまるが、移行計画の誠実な実行を取締役会に強く意識させる効果はある。この"Say on Climate"キャンペーンによって移行計画に関する株主決議の存在は広く知られるようになった(PRI, 2022)。

 

 また、「ネットゼロのためのグラスゴー金融同盟(GFANZ)8」は、2021年に英国グラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)において、G20各国に対し、2024年までに企業に移行計画の公表を義務付けるように求めた(GFANZ, 2021)。

 

 移行計画に関する情報開示ルールの整備も進んでいる。TCFDは2021年10月に「指標、目標および移行計画に関するガイダンス」を公表し、移行計画の基本的なプロフィールを提示した(TCFD, 2021)。また、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は2023年6月に発行した気候関連開示に関するサステナビリティ開示基準((IFRS S2)で移行計画の記載事項を基準化しており(ISSB, 2023a)、EUも委託規則9で法制化を目指す欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)に移行計画の詳細を規定している(EC, 2023)。

 

 

2. 急速に進む移行計画の制度化

 

 現在欧州では移行計画の制度化が急速に進んでいる。たとえばEUである。EUでは、2022年12月に制定された企業サステナビリティ報告指令(CSRD)によって、適用対象企業10に財務報告中でのサステナビリティ報告書(sustainability statement)11の開示を義務付けており、その記載事項に移行計画を含めている12。これは一種の情報的手法13による開示規制であり、企業に移行計画の策定自体を求めるものではない。しかし、移行計画が存在しなければ情報開示できないので、その策定は間接的に促されることになる。

 

 さらに、2022年2月に提案された企業サステナビリティ・デューディリジエンス指令(CSDDD)案では、適用対象企業に人権と環境に関するデューディリジエンスの実行を義務付けると共に、特定の大規模企業に対して移行計画の策定を義務化した。

 

 CSDDD案は現在制定に向けての最終段階にある。EUの立法プロセスでは、行政府である欧州委員会が提示した法案を、EU理事会14と欧州議会が個別に審議して、それぞれに独自の修正案を作成する。その後、それらを欧州委員会・EU理事会・欧州議会による非公式な三者協議で摺り合わせ、最終的な合意案を得る。この合意案が欧州議会とEU理事会で採択されて初めて法律になる。CSDDD案は現在三者協議を待つ段階にあるが、2023年中に制定の見込みであり、2024年1月1日から適用開始の予定になっている。

 

 移行計画の策定義務に関する限り、欧州委員会原案、EU理事会案、欧州議会案に大差はない。いずれも移行計画の策定を義務付ける方針は同じである。強いて言えば、原案では移行計画の策定だけを義務化するのに反して、欧州議会案では移行計画の策定以外に、「その効果的な実行」も義務付けている。

 

 また、原案では、役員報酬の変動報酬部分の決定にあたって、移行計画の策定状況を適切に考慮するよう求めている15が、EU理事会案と欧州議会案は共にこれを削除した。ただし、欧州議会案では、原案より厳格な規定に変更して、移行計画をパリ協定準拠の1.5℃制約と整合させる責任を取締役に課している16

 

 EU加盟国の中では、CSRDとCSDDDの国内法化に先だって、スペインが移行計画の制度化を進めている。

 

 スペインは、経済の脱炭素化に向けて、2021年5月に「気候変動とエネルギー転換法17」を制定したが、その最終規定(付則)において、同法の施行後1年以内に、特定の企業に対して、カーボンフットプリントの算定・公表と移行計画の策定・公表を義務付けると定めた。さらに、規制の詳細については、カーボンフットプリントの登録制度等に関する政令18の改正で定めるとした。

 

 この政令改正案19は、2022年12月にパブリックコメントの募集を終了し、現在は公布待ちの状態にある。政令改正案では、カーボンフットプリントの範囲にスコープ3排出量を含めること(中小企業を除く)20、さらに、移行計画を策定して、少なくとも5年間の定量的なGHG排出量削減目標と目標達成手段を明記することを定めている21。ちなみに、移行計画の策定義務は2025年1月1日から適用開始となる22

 

 先年EUを離脱した英国でも移行計画の法的規制が始まっている。英国のスナク首相は、2021年のCOP26で行った基調講演において、「英国は世界初のネットゼロに適合する金融センターを目指す」と述べ、そのために「企業に移行計画の公表を義務付け、移行計画の報告基準を策定する独立タスクフォースを設立する」と宣言した23

 

 英国財務省のガイダンスによれば、移行計画の公表が必要な企業の範囲には、アセットマネージャー、証券監督当局(FCA)が規制するアセットオーナー、上場会社が含まれ、それらの企業は、国家戦略である2050年ネットゼロ目標と整合的な移行計画を、"report or explain"原則24によって公表する必要がある(HM Treasury, 2021)。

 

 独立タスクフォースに関しては、英国財務省が2022年4月に移行計画タスクフォース(TPT)を設立し、移行計画の究極的基準(gold standards)を策定する業務を委任した。その成果として、TPTは2022年11月に移行計画の開示フレームワーク(TPT, 2022a)と実務ガイダンス(TPT, 2022b)を公開し、2023年2月末を期限としてパブリックコメントを募集した。なお、現在まで両文書の確定版は公表されていない。

 

 移行計画の公表義務化は会社法の枠組みで行われると考えられるが、英国政府は、2023年3月公表の「グリーン金融戦略」で、移行計画の公表義務化に関する法律案のパブリックコメント募集手続について言及している。それによれば、TPTの開示フレームワークが確定した後、2023年秋または冬までに開始するという(HM Government, 2023)。

 

 ちなみに、英国では、すでにTCFD準拠の気候情報開示が義務化されている。会社法では、2022年4月6日以降に開始する事業年度から、上場会社、非上場の大規模会社・有限責任パートナーシップ(LLP)は、アニュアルレポート中の戦略レポートにTCFD準拠の気候関連情報を開示しなければならない25。ただし、準拠するTCFD勧告の範囲には2017年の最終報告書が含まれるだけで、2021年10月の指標、目標、移行計画に関するガイダンス文書(TCFD, 2021)は除外されている26。そのため、現行法では移行計画の開示義務がない。

 

 その一方で、FCAが定める上場規則では、TCFD準拠の気候情報として、2022年1月1日から移行計画の開示を求めている27。ただし、移行計画の詳細な記載事項に関しては、TPTの開示フレームワークに委ねるという28

 

その(2)へ

 

1:

2023年度は、日本のメガバンクや電力会社の株主総会で、移行計画の公表を求めて株主提案権を行使する事例が報告されている(https://shareholderaction.asia/six-companies-in-tokyo-prime-market-including-all-3-mega-banks-face-climate-shareholder-resolutions)。

2:

ISSBの気候関連開示に関するサステナビリティ開示基準(ISSB, 2023a)では、気候関連の移行計画を「低炭素経済への移行のための目標、行動(GHG排出量削減のような行動を含む)または資源を示す企業の全体的な戦略の一側面」と定義している。

3:

https://www.ey.com/en_uk/news/2023/04/only-five-percentage-of-ftse-100-have-published-net-zero-plans

4:

2023年1月31日現在。

5:

英国ヘッジファンドマネージャーのクリス・ホーン(Chris Hohn)卿が、主宰する慈善団体「児童投資基金財団(Children’s Investment Fund Foundation, CIFF)」を通じて、開始した取り組み。

6:

"Say on Climate"のWebサイト(https://sayonclimate.org/)を参照されたい。

7:

被拘束的決議を国内法で認めていない国もある。英国、米国では認められており、日本でも実務的に行われている。

8:

脱炭素社会への移行を推進する金融機関イニシアティブの連合組織として2021年に設立された。現在の構成組織は50カ国余の550社超に及んでいる。

9:

立法府で審議せず、行政府である欧州委員会が制定権限を委託されている法令。我が国の政令に近い。

10:

大規模会社と中小規模上場会社であるが、EU市場で操業する特定の外国企業も適用対象となる場合がある。

11:

マネジメントレポート中に区分表示する。

12:

19a条2項(a)(iii)および29a条2項(a)(iii)。

13:

企業に特定の行動に関する情報開示を義務付けることで、その企業行動が政策的に望ましい方向で実施されるように誘導する手法。

14:

加盟27カ国の政府代表で構成される。

15:

欧州議会案15条3項。

16:

欧州議会案26条1項。

17:

Ley 7/2021, de 20 de mayo, de cambio climático y transición energética.

18:

Real Decreto 163/2014, de 14 de marzo, por el que se crea el registro de huella de carbono, compensación y proyectos de absorción de dióxido de carbono.

19:

Proyecto de Real Decreto por que modifica Real Decreto 163/2014, de 14 de marzo.

20:

政令改正案11項。

21: 政令改正案23項。
22:

2024年度のカーボンフットプリント情報が開示対象になる。

23:

COP26 Finance Day speech (https://www.gov.uk/government/speeches/cop26-finance-day-speech).

24:

移行計画を公表しない場合は、その理由を説明する。

25:

Statutory Instrument 2022 No.31, The Companies (Strategic Report) (Climate-related Financial Disclosure) Regulations 2022.

26: 法令(Statutory Instruments 2022 No.31)本文にも、ガイダンス文書(BEIS, 2022)にも、移行計画への言及はない。
27: 上場規則LR14.3.27Rおよび同LR14.3.29G。
28: TPTのWebサイト(https://transitiontaskforce.net/about/)を参照されたい。

 

[引用文献]

  • CDP (2023a), Are Companies Developing Credible Climate Transition Plans?.
  • Department for Business, Energy & Industrial Strategy (BEIS) (2022), [Non-binding guidance]Mandatory climate-related financial disclosures by publicly quoted companies, large private companies and LLPs.
  • European Commission (EC) (2023), [Draft]Commission Delegated Regulation (EU) supplementing Directive 2013/34/EU of the European Parliament and of the Council as regards sustainability reporting standards.
  • Glasgow Financial Alliance for Net Zero (GFANZ) (2021), Act Now, Financial leaders urge more climate action from the G20.
  • HM Government (2023), Mobilising Green Investment, 2023 Green Finance Strategy.
  • HM Treasury (2021), [Guidance]Fact Sheet: Net Zero-aligned Financial Centre (https://www.gov.uk/government/publications/fact-sheet-net-zero-aligned-financial-centre/fact-sheet-net-zero-aligned-financial-centre)
  • ISSB (2023a), IFRS S2 Climate-related Disclosures.
  • Jessop, S., M. Green, and R. Kerber (2021), "Show us the plan: Investors push companies to come clean on climate", Reuters.com., 24 February 2023.
  • PRI (2022), [Investor Briefing] Climate Transition Plan Votes, December 2022.
  • TCFD (2021), Guidance on Metrics, Targets, and Transition Plans.
  • Transition Plan Taskforce (TPT) (2022a), [Consultation] The Transition Plan Taskforce Disclosure Framework.
  • Transition Plan Taskforce (TPT) (2022b), [Consultation] The Transition Plan Taskforce Implementation Guidance.