サステナビリティ保証規制の拡がりとISSA5000適用上の課題
-その(2)-
(本稿はコラム44の続きです)
関西大学
教授 上妻京子
4 重要な虚偽表示とアサーションの利用
(1) 監査リスクモデルの援用
サステナビリティ情報の虚偽表示とは、開示情報と、適用される規準に従ったサステナビリティ課題の適切な測定・評価との差異をいい、情報の脱漏または開示情報の表示を曖昧にする情報を含む(同、17項)。虚偽表示が重要であるかどうかは、想定利用者の情報ニーズに基づき勘案されるが、保証業務では複数の重要性を検討することになる。同じ想定利用者であってもトピックが異なれば情報ニーズや虚偽表示に対する許容度が異なる可能性があり、さらにはトピックにより測定単位が異なるからである。
定量情報については、規準がダブルマテリアリティの概念を含む場合、財務的重要性と環境的・社会的重要性(impact materiality)10のいずれか低い方を適用し開示情報の重要性を決定する。一方、定性情報については、想定利用者の意思決定に影響を与える可能性のある情報を省略していないか、開示情報の表示を曖昧にする情報を含んでいないかを検討することがキーポイントになる(IAASB, 2023b)。
サステナビリティ情報の保証は、監査リスクモデル11を採用し、リスクアプローチで実施される。以下では、サステナビリティ情報の保証規制が将来的には合理的保証に向かっていることに鑑み、合理的保証業務に焦点を置く。
合理的保証では、国際監査基準第315号(以下、ISA315)を援用し、監査と同様にアサーション12の利用を前提としてアサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクを識別・評価し対応する。アサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクの構成要素は、固有リスクと統制リスクである。2019年のISA315改定に伴い、現行の監査では、固有リスクと統制リスクは別々の評価が必要となり、固有リスクは虚偽表示の発生可能性と虚偽表示が生じた場合の影響の度合い13の組合せの重要度に応じて低リスクから高リスクまでの範囲で評価される。この評価は、統制リスクの評価に先立ち行われる。
ISSA5000案では、固有リスク要因を含めたサステナビリティ課題およびサステナビリティ情報の理解を要求するものの(同、97項および「A295-A298項)、固有リスク要因がどのように、どの程度関連するアサーション14における虚偽表示の生じやすさに影響するかの評価(固有リスクの単独評価)を要求事項とはしていない。その理由について、サステナビリティ保証タスクフォースは、保証業務を複雑化させないためであるとしている(IAASB, 2022)。この点は、今後のISSA5000シリーズの策定動向に注視したい。
(2) 虚偽表示とアサーションの関連づけ
固有リスク要因には、複雑性、主観性、変化、不確実性および経営者の偏向または他の不正リスク要因による虚偽表示の生じやすさが含まれる。固有リスク要因として、現実に日本企業にも関係しうる具体例を示してみよう。
例①: |
ネットゼロ表明を概念的に捉えており、移行計画にバリューチェーン全体のGHG排出量削減を具体化する科学的根拠または実行可能な財務計画がない場合、目標は不確実性を伴う。 |
例②: |
ビジネスモデルを転換し、環境配慮製品を増産する戦略を採るためには、海外で採掘された原材料・海外部品の使用が増大するが、バリューチェーンの深層にあるサプライヤーが人権侵害に加担または助長していないかどうかを証明する現地調査が十分でない場合、人権リスクが高くなる。 |
合理的保証業務では、固有リスクと統制リスクを別々に評価しない場合、固有リスク要因に対する内部統制システムの構成要素の理解をアサーション・レベルの重要な虚偽表示リスク評価へのインプットとする。内部統制システムの構成要素の理解には、統制環境、企業のリスク評価プロセス、内部統制システムの監視プロセス、情報システムと伝達、統制活動についての理解と、それらの評価が含まれる(ISSA5000, 102R-107R項)。
この重要な虚偽表示リスクの識別・評価にあたり、発生する可能性のある虚偽表示の種類を検討するためにアサーションが利用される。具体的にアサーションには、「発生および実在性」、「責任」、「網羅性」、「正確性および評価」、「期間帰属」、「表示・分類の妥当性および理解可能性」等がある(同、A353R)。例えば、次の情報Aが保証対象に含まれるとしよう。この場合に、発生する可能性のある虚偽表示の種類とアサーションを関連づけて具体的に示すと、図表1のように例示することができる。
情報A: |
当社は2050年ネットゼロを表明し、GHG削減目標を設定している。ビジネスモデルを脱炭素化し、環境配慮型製品C(主要部品B)を生産している。GHG総排出量は××年比で●%減を達成した。 |
図表1 虚偽表示の種類とアサーションの関係
虚偽表示の種類 | アサーション | 虚偽表示の内容 |
虚偽の主張 | 発生・実在性 | カーボンオフセットの資金拠出先には実効性がない |
科学的にカーボンニュートラルに整合する移行計画がない | ||
情報の脱漏 | 網羅性 | 従来型製品が座礁資産につながる財務的影響の開示がない |
カーボンロックイン状態の潜在的排出量の開示がない | ||
製品Cへの移行によって、水使用量が激増することを開示していない | ||
部品BがVC内の強制労働と関係することを開示していない | ||
曖昧な表現 | 表示の妥当性・理解可能性 | GHG排出量の基準年の選定が恣意的または選定根拠が不明である |
人権DD実施済みの説明があるが、実施内容に合理的な裏付けがない |
先に示した固有リスク要因(例①・例②)は、図表1のアサーションにおける虚偽表示の生じやすさに影響を及ぼす。こうして識別した虚偽表示は、想定利用者の意思決定に与える影響が考慮されて、明らかに僅少なものを除き集計されるが、その際、不正によるものかどうかの検討を要する(同、137項)。例えば、情報Aの「☓☓年比で●%比減」は事実であるが、基準年の数値が小さいことが開示されていないならば、選択的な情報に基づき、不適切に導出されたかもしれない。
また、人権情報にはDDについての記載はあるが、製品Cに関係する部分の記載が意図的に除外されているか、あるいは措置が形式的で有効でないかもしれない。いずれの場合にも、規準は適合しているが意図的にその規準を適切に適用しなかった場合、不正による虚偽表示の兆候となることがある。なお、統制環境の不備によって、複数のアサーションに重要な虚偽表示が生じる可能性があるならば、サステナビリティ情報全体にわたって広範囲に重要な虚偽表示が生じる可能性がある。
ここでは合理的保証業務を念頭に置いたが、限定的保証業務であってもアサーションを利用して重要な虚偽表示が生じる可能性のある開示情報を識別することが有用であるとの指摘がある(同、A354L項)。
5 悪影響のトレードオフによる虚偽表示
(1) バリューチェーンにおける悪影響のトレードオフ
サステナビリティ情報に発生する可能性のある虚偽表示のうち、あるトピックに関する企業行動が別のトピックの課題に悪影響を与えるようなトレードオフがある場合に着目したい。悪影響のトレードオフは、特に環境課題間、または環境課題と社会課題との間で発生しうる。例えば、ビジネスモデルを転換し、環境配慮型製品を増産する戦略を採ることはGHG排出量削減には貢献する。しかし、その生産活動が、バリューチェーンでの森林破壊や原住民への被害に直接的・間接的に関係している場合、または人権侵害問題を孕む他社で採掘された原材料・組み立てられた部品に大きく依存しており、自社がサプライチェーンの他企業での強制労働を助長している場合がある。
こうした悪影響をバリューチェーンで捉えるのは企業責任であり、自社が悪影響の一因となっていなくとも、直接的・間接的なビジネス関係により悪影響が自らの事業、製品・サービスに直接的に結びついている場合には、悪影響の防止または緩和を求めることが責任ある企業行動の原則とされる(OECD, 2011)。
この点、CSRD適用対象会社は、DDをどのように実施して悪影響に対応したか、DDプロセスの開示を求められる(EU, 2022)。さらに、EUでは、大会社(域外企業を含む)にDDの実行自体を義務づける企業サステナビリティ・デューディリジェンス指令(CSDDD)案が最終合意に至っている(2023年12月)。DDは、リスクマネジメントを厳格に実施する手段であり、日本企業にとっても、事実上ビジネスの必須条件になりつつある。
(2) 保証におけるタクソノミー規則の意義
こうした悪影響のトレードオフの有無を自社で判別の上、開示させる仕組みがタクソノミー規則である。EUでは、タクソノミー規則((EU) 2020/852)により、金融商品・社債を販売する金融市場参加者とCSRD19a条・29条適用会社に、環境的にサステナブルな経済活動の割合を開示させる。例えば後者は、タクソノミー規則適格な売上高、設備投資額、営業費の割合の開示を要する。
適格であるためには、1)6つの自然課題のいずれかの環境目的に直接貢献すること(または緩和・移行を促進)、2)貢献する環境目的以外の環境目的に著しく有害でないこと(DNSH規準)、3)人権尊重・労働に関してOECD多国籍企業ガイドライン、ILO宣言等を遵守していること、および4)欧州委員会が規定する技術的スクリーニング規準(原材料・製品等の数値基準)を遵守していることの全てを満たしていなければならない。上記の2)は、環境課題間の悪影響のトレードオフを回避し、3)は、環境課題と社会課題の間の悪影響のトレードオフを回避する役割を果たす。
CSRDによるサステナビリティ報告書の保証命題には、「タクソノミー規則8条の報告要求事項に準拠しているか」が含まれる。要するに、保証実施にあたり、悪影響のトレードオフによる虚偽表示を識別することを明確に求めているのである。
2022年9月時点で、タクソノミー規則を公表または策定中の国は30か国に及ぶほか、アセアンタクソノミー等地域で策定されるものもある(Sustainable Finance Action Council , 2022)。特に、DNSH規準は、世界的にタクソノミー規則の重要な特徴であり、EUで最初に開発された用語・概念である。また、社会的セーフガードとなる上記3)の規準の判定には、DDの実施が欠かせない。
6 おわりに
ISSA5000案は、プラスの面を強調しマイナスの面を省略するような情報の偏りが虚偽表示に繋がることを随所に指摘している。保証におけるタクソノミー規則の意義は大きい。日本には制度的なタクソノミー規則はないが、海外機関投資家はCDP15の質問書等を通じて、日本企業に「どのタクソノミーをどの製品に使用したか」の開示を要請する可能性がある。日本の保証業務実施者は、こうした課題への対応力が問われるのではないか。
本稿では、保証業務の範囲の適切性と悪影響のトレードオフに焦点を置いたが、日本企業がISSA5000準拠の保証を受審する場合には、次の点にも留意が必要であることを付記したい。有価証券報告書内のサステナビリティ情報に保証を受審する場合には、保証対象情報と財務諸表との整合性がまず問われ、任意のサステナビリティ・レポート内のサステナビリティ情報に保証を受審する場合には、当該レポート内の膨大なその他のサステナビリティ情報との整合性が問われることになる。特に後者の場合には、保証業務実施者は、保証契約外のさまざまなサステナビリティ情報の理解に加えて、悪影響のトレードオフ問題への対応が求められる。
10: | 自社が人・環境に与える影響の重要性をいう。 |
11: | 監査リスクは、重要な虚偽表示リスクと発見リスクの関数である。 |
12: | 明示的か否かにかかわらず、サステナビリティ情報に具体化された会社の表明をいう。 |
13: |
両方が合理的にあり得る場合に重要な虚偽表示リスクは存在する(ISA200, A16項)。 |
14: |
重要な虚偽表示リスクが識別されたアサーションをいう。 |
15: |
イギリスのNGOで2023年時点の運用資産は106兆米ドル。 |
[参考文献]