開示情報に対する保証の枠組み
―サステナビリティ情報の開示と保証の制度化に向けて―
関西大学
教授 松本 祥尚
2024年4月6日に標記の開示情報に対する監査・保証に関する共同研究を取り纏めた書籍が出版された1。2020年代に入り環境、社会的責任、ガバナンスを重視した投資活動の必要性が叫ばれるようになった。この背景には、国際連合が2006年に「責任投資原則」(Principles for Responsible Investment: 以下、PRI)において、E(環境)、S(社会)、G(ガバナンス)の要素を投資意思決定に組み込むことを提唱したことがあり、当該提唱の後、世界でESG投資に関連した行動原則が策定・公表されてきた。さらに2015年に「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals: 以下、SDGs)が採択されたことから、SDGsを達成する手段としてESGに配慮した投資が注目されるようになり、わが国年金積立金管理運用独立行政法人(Government Pension Investment Fund: 以下、GPIF)もPRIに署名するに至った。これが大きな切っ掛けとなり、わが国でも2020年に金融庁が「責任ある機関投資家」の諸原則に「サステナビリティ(ESG要素を含む中長期的な持続可能性の考慮)」を追加し、また日本取引所グループが「ESG情報開示実践ハンドブック」を公表したことで、ESGに関連する投融資が活発になった。
その後2022年6月13日公表の金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ報告に基づいた、2023年1月31日の企業内容等の開示に関する内閣府令等の改正により、有価証券報告書において「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄が新設され、2023年3月期から適用されている。この結果、従来の任意開示を前提としたESG関連のサステナビリティ情報は、法定開示の対象となるに至った。当該開示規制に対応するため、わが国サステナビリティ基準委員会が国際サステナビリティ基準審議会(International Sustainability Standards Board: 以下、ISSB)策定のサステナビリティ基準の国内化を図っている。
当該情報が法定開示の対象となることは、開示情報の選択や開示レベルに関する情報提供者側の恣意性が排されるとともに、これまでの任意開示のように単純に利用の可否を投資者の自由意志に委ねるといった資本市場での不作為も認められなくなった。つまり不特定多数の情報劣位にある投資者が利用するという前提で、サステナビリティ情報の開示を考えなければならず、そのためには当該情報の信頼性の確保はわが国ディスクロージャー制度にとっての必要条件といえる。
このような情況に先立ち、日本会計研究学会は特別委員会として2020年9月からの2年間にわたり「開示情報に対する保証の枠組みに関する研究」を設置し、今後のわが国情報開示のあり方を提言する目的で非財務情報やサステナビリティ情報の信頼性を確保する保証業務を研究対象とした。本書は、当該特別委員会における報告の内容を、各国制度の把握、先行研究の網羅的渉猟、ならびに実証的な分析を行なったものであり、以下のような2つの視点から非財務情報を含む開示情報に対する監査・保証の枠組みに関する検討を試みている。
第1部では、財務・非財務情報を包括する開示情報全般に対する監査・保証業務の枠組みについて比較制度的・理論的検討を加えるとともに、年次報告書に含まれる財務諸表以外の情報、すなわち非財務情報を含む「その他の情報」に対して、国際監査基準(International Standard on Auditing: 以下、ISA)720(改訂)が財務諸表監査の一環として実施される手続によってどのように信頼性が確保されようとしているのか、を諸外国の規制内容から明らかにした。
非財務情報の充実と適切な開示は、先行するヨーロッパ諸国では既に法定開示の対象となるだけでなく監査ないし保証の対象とされている。このため、先行するヨーロッパ諸国を含む諸外国が、法定開示書類内の非財務情報に対して財務諸表監査の枠組みでどのように対応しようとしているのか、すなわちISA 720(改訂)「他の情報に対する監査人の責任」をどのように適用しているのか、を検証した。というのも、ISA720(改訂)は、わが国監査基準や監査基準報告書720と同様に、年次報告書、わが国では有価証券報告書、における財務諸表以外の記載事項に対しても、意見の表明を求めていないとはいえ、既に財務諸表監査の一環として監査人に対して一定の関与を求めているからである。
具体的には、わが国監査基準及び諸外国において範となったISA720の改訂経緯を明らかにするとともに、ヨーロッパにおける制度的対応、イギリス基準、ドイツ基準、オーストラリア基準、カナダ基準、アメリカ基準、シンガポール基準を分析しその内容を詳解した。加えて、財務諸表監査の枠組みを超えた監査・保証業務として財務諸表以外の法定開示情報に対してどのような方法と内容で規制を加えているのか、すなわち、諸外国において法定・任意開示される非財務情報ないしサステナビリティ情報に対する保証のあり方を実態調査により明らかにしている。
第2部では、非財務情報ないしサステナビリティ情報の保証について行なわれてきた、海外及びわが国の先行研究を幅広くレビューしている。そして、そこから明らかとなった内容を前提に、わが国のESG関連のサステナビリティ情報の任意開示に対する保証として第三者が関与する場合に、その態様がどのような決定要因によって影響されているのか、を公表データに基づき実証的に明らかにした。そこでは、どういった属性の企業が、どのような条件で第三者保証を契約しているのか、を決定要因分析によって検証している。
また保証業務に関する国際基準が採用する特定の専門職業に拘らない(Profession Agnostic)保証業務提供者を前提とした場合、職業会計士とそれ以外のサステナビリティ情報の保証主体によって、想定利用者の意思決定が異なる影響を受ける可能性を実験的に検証し、両者の保証主体の違いを明らかにしている。
本書は、非財務情報やサステナビリティ情報に対する保証の体系的研究を時宜に適ったものとして、日本会計研究学会によって特別委員会の対象とされたことが切っ掛けである。また同時に科学研究費補助金基盤研究(B)(一般)「非財務開示情報に対する監査・保証の枠組みに関する研究」の補助対象ともなった。さらに本書の対象となった研究の重要性・適時性から、その概要が日本公認会計士協会機関誌『会計・監査ジャーナル』2023年7月号から3号にわたって紹介され、わが国職業会計士に対しても広く周知された。このような共同研究の成果が、わが国における非財務情報に対する監査・保証の制度化議論の参考となることを期待したい。
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松本祥尚 編著. 開示情報に対する保証の枠組み -サステナビリティ情報の開示と保証の制度化に向けてー. 同文舘出版社,2024年,386P. |