気候関連リスクに対する財務諸表監査問題の高まり

-その(1)-

 

(本稿はその(1)とその(2)から構成されており、その(2)はコラム48として公開されています) 

 

関西大学   

教授 上妻京子

 

 

1 問題提起

 

 財務諸表問題として、気候関連リスクが会計基準側であらためてクローズアップされている。IFRS概念フレームワークの重要性概念にもとづき、投資家にとって重要な気候関連リスクを財務諸表に開示するという会計行動についてである。2018年にこの問題を最初に提起したのは、オーストラリアの会計基準審議会(以下、AASB)と監査・保証基準審議会(以下、AUASB)であるが1(AASB & AUASB, 2018)、現在もなお、財務諸表には気候関連リスクが反映されておらず、財務諸表とサステナビリティ情報で、気候関連リスクに関する企業の主張が矛盾するという懸念が生じている。国際的に気候関連の情報開示規制が進展する一方で、財務諸表では開示要請が進む気候関連リスクを処理できていないのである。この問題は、監査に実務上の課題を引き起こしている。

 

 IFRS会計基準は気候関連リスク特有の規定を設けていないが、重要な気候関連リスクを財務諸表に開示しなければならないことを暗黙裡に認めている。しかし、後述のように、複数の実態調査では、財務諸表作成時の会計基準の「適用」に課題があることが明らかにされている。事態を改善すべく、欧州システミック・リスク理事会(European Systemic Risk Board:ESRB)2 は、IFRS会計基準が気候関連リスクの適切な解釈と適用を強制する責任があると指摘した(ESRB, 2024)。その一例は、IAS 36における減損の指標リストに気候変動要因を追加すべきという指摘である(ESRB, 2024)。

 

 こうした2018年以降の一連の動向を受けて、国際会計基準審議会(以下、IASB)は、気候変動に関連する企業のコミットメント等の不確実性を会計処理する方法について、IFRS会計基準に例示を付記する草案を公表することを2024年4月理事会で承認した。

 

 財務諸表問題としての気候関連リスクは、同時に監査問題をもたらす。監査人は、冒頭の事態に沈黙していると指摘されてきたが(Carbon Tracker, 2024)、今後、2つの観点で、監査の役割と責任が本格的に問われることになる。1つの問題は、気候関連リスクが財務諸表に適切に反映されているかの評価自体にあり、もう1つの問題は、財務諸表とサステナビリティ情報が整合しているかの検証および監査報告書でのその結果報告にある。特に後者については、サステナビリティ情報開示の進化に対応し、ISA 7203を現代の監査実務でどのように運用できるかに、監査人の真価が問われる。

 

 

 

2 財務報告の一元化とつながり情報

 

(1) 財務報告の一元化

 

 サステナビリティ関連リスクは、短・中・長期の時間軸にわたって発生し、サステナビリティ情報側での報告範囲は自社グループだけでなくバリューチェーンにも及ぶ。企業が自社のサステナビリティ関連リスクを最適に開示するためには、財務諸表とサステナビリティ情報の相互補完による開示が欠かせず、いずれか一方だけではサステナビリティ関連リスクの全体像を表現できない。両者の時間軸は異なり、かつ、両者の報告は連続的にサステナビリティ課題の時間軸を形成するからである。ポイントは、将来見通しについて、財務諸表が過去の行動についての将来の結果に焦点を置くのに対し、サステナビリティ情報は将来の行動の将来の結果も包含するという点にある(EFRAG Secretariat, 2024)。

 

 環境的・社会的重要性があるサステナビリティ課題は、やがて財務的重要性をもたらし、時間を経て、会計基準の認識基準を満たすと財務諸表に連動して反映される。例えば、ネットゼロやGHG排出量削減目標に対する企業のコミットメント、座礁資産、ロックイン排出などのサステナビリティ情報は、現在および将来の財務諸表と直接的・間接的につながるか、または財務諸表にとって早期の兆候となる。財務諸表側では、サステナビリティ情報の移行計画と整合するように会計基準を適用して、減価償却、減損、引当金、注記等に気候関連リスクを直接的・間接的に開示できる。移行計画とは、気候目標を達成するための行動計画であり、財務計画を含む(TCFD, 2021)。EUサステナビリティ報告基準4 (以下、ESRS)や国際サステナビリティ基準審議会(以下、ISSB)のIFRS S2(気候関連開示)では、移行計画は開示要求事項である。

 

 EUやISSBがサステナビリティ報告基準を策定し、サステナビリティ情報と財務諸表を関連付ける形で一般目的の財務報告を構成する意義は、これまで一元的に策定されてこなかった企業情報の関連づけにあると考えられる。サステナビリティ情報の開示を念頭に置いたマネジメントコメンタリの改定作業もその一環である。とりわけ、EUの企業サステナビリティ報告指令(以下、CSRD)では、財務諸表とサステナビリティ報告書の電子的な同時開示を義務づけて、財務報告の一元化と、基本的に5 監査人を保証提供者とする監査・保証の一元化を目指している。

 

 

(2) 財務諸表とサステナビリティ情報のつながり

 

 財務報告において、財務諸表とサステナビリティ情報の信頼性をともに確保するために、両者の「つながり」情報は鍵となる。ESRSとISSBのIFRS S1(全般的要求事項)、IFRS S2はともに、サステナビリティ情報と財務諸表とのつながりの説明を開示要求事項とする。要求事項には、サステナビリティ情報が財務諸表と整合性のある仮定を用いることが含まれる。「つながり」は、気候課題に限らず、生物多様性などの自然課題や人的資本等の社会課題と、財務諸表との間にも存在するが、本稿では最も喫緊の課題である気候課題に注視したい。気候関連リスクが資産や負債の評価に適切に反映されていない場合、または企業が気候関連リスクにどのような影響を受けるかの仮定に関する財務諸表での開示が乏しい場合に、投資家の情報期待が財務諸表で再評価されると、気候関連リスクが突如顕在化するおそれがある。財務諸表における気候関連リスクの認識の遅れは、財務諸表の急激な修正という情報ショックを引き起こし、金融の安定を脅かす可能性があると指摘される(ESRB, 2024)。

 

 

3 財務諸表における気候関連リスクの開示

 

 IFRS会計基準を適用し、財務諸表で気候関連リスクに関する情報を開示するという課題には、論点が大きく3つある(IASB, 2024a)。1つ目は、財務諸表に気候関連リスクの情報を含める必要があるかどうかを決める重要性の判断である(IAS 1, 第31項)。重要性判断は、AASB &AUASBやIASB理事のAnderson氏が提言したように、投資家等の合理的な情報期待を斟酌した判断であって、自社が何を重要視するかに基づく判断ではない(AASB &AUASB, 2018; Anderson, 2019)。たとえ財務諸表に金額的な影響がなくとも「自らの意思決定に性質的に影響すると投資家が当然考えると思われる」のであれば、その気候関連リスクは重要な情報になる(詳細は、上妻, 2020)。この点について、投資家側からは、1.5℃の気候目標に沿った財務諸表の開示を企業に明確に求めているが、企業は財務諸表の重要性を見落としているとの指摘がある(Sarasin & Partners, 2021)。

 

 2つ目は、資産・負債に影響を与える気候関連の前提条件および見積りの不確実性の原因に関する開示の問題である6。例えば、IAS 36を適用して減損テストを行う際に、資金生成単位(CGU)の使用価値の測定には、GHG排出枠の将来価格や、排出規制の範囲と厳格さが将来的に拡大する可能性などの仮定が含まれる。これらの仮定の開示を検討するにあたって、IAS 36第33b項が想定する最大5年の時間軸を超える場合であっても、IAS 1第125項を適用してこれらの仮定に関する情報の開示を検討できる。IAS 1第125項を適用することにより、気候関連の仮定に関する情報の開示が必要な場合について、IASBの2024年4月会議では次のような解釈が示されている。特筆すべきは、翌年度中に気候関連の仮定が変更された場合に、資産または負債の帳簿価額に重要な修正をもたらすという重大なリスクがあるならば、翌年度に解決する不確実性に関する仮定だけでなく、翌年度末以降に解決される中長期的な仮定についても、開示が必要な場合があるという点である(IASB, 2024a)。

 

 3つ目は、重要である場合に、気候関連リスクに曝されている資産等について細分化した情報を開示する必要性である。IFRS 18「財務諸表における表示および開示」7の集計と細分化の原則(第41項・第42項)を適用することで、IAS 1の要求事項による重要な情報を開示できると判断される場合に着目したい。たとえば、GHG排出量を削減する有形固定資産に投資していても、事業の大部分が気候関連リスク(移行リスク)に曝される有形固定資産を使用しているような場合、気候関連リスクの特性に基づき、注記で有形固定資産を細分化して開示することが財務諸表利用者にとって重要である(IASB, 2024b)。ただし、IFRS S2では、移行リスクや物理的リスクに脆弱な資産または事業活動の数値および割合の開示が要求事項とされ、後述のようにESRSには、さらに厳格な開示要求事項がある。こうした財務諸表とサステナビリティ情報の「つながり」情報は、財務報告内での重複を避けるために、財務諸表の注記にリンクを貼る等、相互参照の開示を工夫する必要があると考えられる。

 

 

 

 

その(2)へ 

 

1:

詳細は、上妻 (2020)を参照されたい。

2:

EUの金融リスク監視機関をいう。

3:

International Auditing and Assurance Standards Board (IAASB) (2015), International Standard on Auditing (ISA) 720, The Auditor's Responsibilities Relating to Other Information and Related Conforming Amendments, IFAC.

4:

移行計画は、気候課題に限らず生物多様性等の自然課題に関しても策定される。

5:

CSRDでは、サステナビリティ報告書の保証提供者は基本的に監査を担う監査人とされるが、① 監査を担当しない監査人を認める、② 認証された機関を認めるという2つのオプションを加盟国の判断で選択できる。②を選択する場合には、①も選択しなければならない。

6:

IFRS 7、IAS 37など特定の開示要件の適用がある。

7:

 IAS 1を置き換える基準であり、2027年1月1日以後に開始する事業年度から適用される(2024年4月9日公表)。