気候関連リスクに対する財務諸表監査問題の高まり

その(2)-

 

(本稿はコラム47の続きです)

 

関西大学   

教授 上妻 京子

 

 

 

4 財務諸表監査問題としての気候関連リスク

 

 このように、財務諸表側で会計基準を適用して気候関連リスクを反映するという課題が現実味を帯びてくると、監査においてもこうした変化を無視できなくなる。国際監査・保証基準審議会(以下、IAASB)のスタッフによる監査実務文書では、現行の国際監査基準が監査時の気候関連リスクの検討にどのように関係するのかが示されている(IAASB, 2020)。しかし、Climate Action100+8のエンゲージメント対象企業140社9を対象とした2022/2023年度の監査実務では、監査人がそうした要請に応えているという証拠がほとんど見当たらないという(Carbon Tracker, 2024)。企業が主張するネットゼロ目標に整合的な仮定・見積りが財務諸表作成時に使用されていない(または必要な開示がない)にもかかわらず、監査人は監査報告書で何ら指摘していないというのである。監査人はそのような財務諸表の開示に対して修正を求めるか、気候関連リスクに曝される資産・負債をどのように評価したのかを監査報告書で監査上の主要な検討事項として記載できる。この調査対象には、日本企業10社の開示と監査実務が含まれている。上記のほか、英国エンドースメント審議会(UKEB)による2023年の調査においても、同様の開示実態・監査実態の指摘がある(UKEB, 2023)。

 

 重要な気候関連リスクが財務諸表に開示されず、気候関連の移行計画と財務諸表に矛盾が生じているにもかかわらず、監査人が沈黙していることに対して、英国の投資家Sarasin & Partners(資産4.5兆ドル)や投資家グループIIGCC(資産100兆ドル超)は警鐘を鳴らしている。両者は、①監査人が重要な気候関連リスクに関する会計上の仮定の検証を怠るのであれば、財務諸表が適正であるという監査意見にどの程度の信頼性があるのか疑念があり、②株主に対する義務を怠っているとして、監査人再任に反対票を投じる用意があると4大監査法人に通知している(IIGCC, 2020; Sarasin & Partners, 2021)。

 

 4大監査法人を含む6つの監査法人は、ネットゼロ金融サービス・プロバイダー・アライアンス(NZFSPA)の会員であり、「2050年までにGHG排出量を実質ゼロにするために、関連する全てのサービスや製品をその目標と整合させる」ことを約束している。この点からも、今後、監査実務には一層厳しい世界の投資家の目が向けられることになる。日本企業の監査も例外ではない。

  

 

5 監査におけるISA 720適用の見直し

 

(1) ISA 720適用にかかる監査実務の更新

 

 財務諸表自体の開示問題に加えて、もう1つの課題は、財務報告で財務諸表と気候関連情報における企業の主張が矛盾するという問題への対応である。つまり、監査において、ISA 720の「適用」を現代のサステナビリティ情報開示に合わせて見直す必要がある。財務報告におけるサステナビリティ情報規制が進展し、ISA 720にいう「その他の記載内容」の中身は2015年の同基準公表時から様変わりしたからである。「その他の記載内容」とは、年次報告書に含まれる財務諸表・監査報告書以外の財務情報および非財務情報をいう(ISA 720, 第12項(c))。同基準では、GHG排出量情報は、財務諸表と整合性チェックができない情報の典型とされているが、現在では移行計画を通じて間接的に財務諸表とつながりを有する情報であることは明白である。

 

 以下では、財務諸表と気候関連リスク情報の「つながり」に焦点を置きたい。ISA 720で「その他の記載内容」として監査人の通読が必要になる気候関連のつながり情報を、「直接的なつながり」と「間接的なつながり」に区分してポイントを示す。

 

 

(2) 「財務諸表または監査で得た知識」と気候関連リスクとのつながり

 

 ISA 720は、「その他の記載内容」を①財務諸表由来または関連の財務情報、②監査の過程で得た知識に関連する情報、および③財務諸表または監査で得た知識に関連しない情報(①・②以外の情報)の3つに区分規定し、監査人に通読を求めている(詳細は、上妻, 2023)。

 

 ①は、当期の財務諸表と整合的かを直接的に照合することを想定した情報であり、②は当期の財務諸表(たとえば、会計上の見積り)と直接的に整合性チェックはできないが、監査で得た知識に基づき、財務諸表とのつながりが間接的に整合的かを検証すべき対象情報であると解される。監査実務を更新すべきは、これらに含まれるようになった次の情報についてである。

 

 ESRS適用(ESRS E1)の財務報告の場合には、①の例は、移行リスク・物理的リスクに曝される資産額・資産割合とそれらについて気候変動適応行動で対処する各割合、移行リスク・物理的リスクを有する事業活動から得られる売上高・売上高割合、財務諸表に認識しなければならない可能性のある負債であり、いずれも時間軸は、短期・中期・長期である。また、売上高当たりのGHG排出量(原単位)の開示も①に含まれることになる。これらの開示にあたり、財務諸表の関連項目または注記との関係の開示を要する。一方、IFRS S2適用の財務報告の場合には、こうした内容について、移行リスク・物理的リスクに脆弱な資産または事業活動の数値・割合、それらのリスクに投下された資本的支出・資金調達・投資額が要求事項として一般的に示されている。

 

 ESRS E1の開示は、IFRS S2の開示に対応しているが、ESRS E1には、移行計画の実行を裏付ける資金調達および投資についての開示要求事項が含まれており(第16項)、かつ、実行済みまたは実行予定の行動に必要な売上高、資本的支出、営業費について、欧州委員会委任規則(EU)2021/2178に基づき要求される主要業績指標の開示が要求されている(第29項)。これは、タクソノミー規則による開示であるが、EUに限らず、世界の国・地域でタクソノミー規則の策定が加速化しており、CDPの気候変動質問票にも説明が求められる事項である10

 

 一方、②の典型例は、カーボンプライシングに使用される内部炭素価格等である。内部炭素価格をどの価格水準で設定するかは、企業の気候目標、GHG排出量削減の具体目標、財務計画を含む移行計画に依る。監査人は、この数値と、財務諸表作成時に減損テストで使用された内部炭素価格が整合的かを検証する必要がある。整合的でない場合には、その理由説明の開示の有無を含め、説明の妥当性を判断しなければならない。

 

 監査人は、こうした情報を通読し、財務諸表とサステナビリティ情報が整合的でないと判断した場合には、どちらに虚偽表示があるのかを特定しなければならない。気候関連リスクが財務諸表問題として本格的に重視されるにようになれば、監査人は、手つかずの潜在的な重要な虚偽表示について、いよいよ監査報告書で言及する必要に迫られる。監査意見を形成するために必要な監査証拠の入手だけでは、真にISA 720の適用ができないことは言うまでもない。

 

 

6 おわりに

 

 保証規制対象に移行計画を含む動向(EU・オーストラリア・ナイジェリア)や、監査・保証の一元化の動向(EU・オーストラリア)は、財務諸表とサステナビリティ情報のつながりの欠如に監査・保証提供者が対処する一定の方向性を示している(詳細は、上妻, 2024b)。

 

 折しも、2024年4月のG7気候・エネルギー・環境相会合では、2030年代前半に(または各国のネットゼロ目標に沿って)既存の石炭火力発電を段階的に廃止し、世界の新規石炭火力発電の承認を廃止する方向に向け、エネルギーシステムにおける化石燃料からの脱却を加速するとされた11。企業のビジネスモデルは一層変容を迫られることになり、そうした影響はますます財務諸表にも及ぶことになる。

 

 とりわけ、CSRD適用(ESRS適用)を義務づけられる企業やIFRS S2を適用する企業(両方を適用する企業もある)の監査では、ISA 720における「その他の記載内容」への監査人の対応能力が一層問われる。CSRDの適用義務は60か国以上の第三国企業に及び、その対象として10,300社が特定されている(Philipova, 2023)。このうち、日本企業は790社あるとされる。こうした点からも日本企業の監査実務の進展に目が離せない。

 

 

 

 

 

8: 世界各地域の機関投資家(700社超)によるGHG削減推進イニシアティブで、GHG排出量世界上位100社および重点企業70社にエンゲージメントを行っている。
9: このうち、100社以上がネットゼロ目標を掲げている。同調査は、2021年調査、2022年調査に続く3回目の調査である。
10: 詳細は、上妻 (2024a)を参照されたい。
11:

G7 ITALIA, Climate, Energy and Environment Ministers’ Meeting Communiqué (Torino, April 29-30, 2024).

 

 

[引用文献]

  • 上妻京子(2020)、「気候関連リスク情報の開示と監査上の課題」、『産業經理』、80 (1): 95-107頁。
  • 上妻京子 (2023)、「サステナビリティ報告:監査の新たな課題」、『会計・監査ジャーナル』、35 (1): 104-113頁。
  • 上妻京子 (2024a)、「サステナビリティ報告書の適正表示とタクソノミー規則の意義」、『會計』、205(5): 25-39頁。
  • 上妻京子 (2024b)、「監査・保証の一元化の動きも!国際動向にみるサステナビリティ保証のゆくえ」、『企業会計』、76 (6): 24-32頁。
  • Anderson, Nick (2019), IFRS® Standards and climate-related disclosures.
  • Australian Accounting Standards Board (AASB) & Auditing and Assurance Standards Board (AUASB) (2018), Climate-related and other emerging risks disclosure: assessing financial statement materiality using AASB Practice Statement 2, December 2019.
  • Carbon Tracker (2024), FLYING BLIND: IN A HOLDING PATTERN, The continued absence of climate and transition risks in financial reporting.
  • European Commission (2023), Commission Delegated Regulation (EU) 2023/2772 of 31 July 2023 supplementing Directive 2013/34/EU of the European Parliament and of the Council as regards Sustainability Reporting Standards.
  • European Systemic Risk Board (2024), Climate-related risks and accounting.
  • European Financial Reporting Advisory Group (EFRAG) Secretariat (2023), Connectivity between Financial and Sustainability Reporting Information, Suggested scope and approach of EFRAG Research project.
  • International Auditing and Assurance Standards Board (IAASB) (2020), The Consideration of Climate-Related Risks in an Audit of Financial Statement, Staff Audit Practice Alert.
  • International Accounting Standards Board (IASB) (2024a), Climate-related and Other Uncertainties in the Financial Statements, IASB meeting, Agenda Paper 14C.
  • International Accounting Standards Board (IASB) (2024b), Climate-related and Other Uncertainties in the Financial Statements, IASB meeting, Agenda Paper 14D.
  • International Sustainability Standards Board (ISSB) (2023), IFRS Sustainability Disclosure Standard, IFRS S1 General Requirements for Disclosure of Sustainability-related Financial Information, IFRS Foundation. 
  • International Sustainability Standards Board (ISSB) (2023), IFRS Sustainability Disclosure Standard, IFRS S2 Climate-related Disclosures, IFRS Foundation.
  • Philipova, Elena (2023), How many companies outside the EU are required to report under its sustainability rules?, https://www.lseg.com/en/insights/risk-intelligence/how-many-non-eu-companies-are-required-to-report-under-eu-sustainability-rules.
  • Sarasin & Partners (2021), Investor Expectations: Net-Zero Audits, https://sarasinandpartners.com/stewardship-post/investor-expectations-net-zero-audits/#storeindividual.
  • Task force on Climate-related Financial Disclosures (TCFD) (2021), Guidance on Metrics, Targets, and Transition Plans.
  • The European Parliament and the Council of the European Union (EU) (2022), Directive (EU) 2022/2464 of the European Parliament and of the Council of the 14 December 2022 amending Regulation (EU) No 537/2014, Directive 2004/109/EC, Directive 2006/43/EC and Directive 2013/34/EU, as regards corporate sustainability reporting.
  • The Institutional Investors Group on Climate Change (IIGCC) (2020), Investor Expectations for Paris-aligned Accounts.
  • UK Endorsement Board (UKEB) (2023), A Study in Connectivity: Analysis of 2022 UK Company Annual Reports.