ビジネスが支えたCOP21/パリ協定
国連環境計画・金融イニシアチブ
特別顧問 末吉 竹二郎
パリ協定の核心は、「排出ゼロ」(第4条)にある。21世紀の後半にはCO2の人為的排出を人為的吸収にバランスさせる目標を掲げた。21世紀社会は自らが目指す方向を、「低炭素化(LOW-carbonization)」ではなく、「脱炭素化(DE-carbonization)」という「究極の削減」へギアアップしたのである。
言うまでもなく、低炭素化と脱炭素化はその根底で思想を異にする。低炭素化は減らす努力はするもののCO2排出自体は否定しない。一方、脱炭素化は初めから終わりまでCO2排出を一切認めない。低炭素化を考える頭の中には脱炭素化はない。両者は似て非なるものである。
では、なぜパリ協定は究極の削減、即ち、排出ゼロを選択したのか。最大の理由は地球温暖化への強い危機感である。だが、往々にして危機感だけでは物事は動かない。失敗に終わったCOP15を思い出してほしい。とすれば、COP21では何かが丁々発止渡り合う交渉官たちの背中を押したのだ。筆者の観方ではそれは「ビジネス・リーダーと機関投資家」であった。そのことを検証するために、COP21前後の世界の動きを振り返ってみよう。
① RE100 Initiatives
2014年、IKEA、H&M、 BT、 Nestle、 SwissReなど欧州の主要企業12社が、業務用の使用電力を100%再生可能エネルギー(RE)で賄う目標を掲げた。その後も世界の有力企業(WalMart、Starbucks、Nike、Google、Coca-Cola、Microsoftなど)が参加、今では50社を超えた。国連主導のCarbon Neutral Nowが始まるなど、世界の環境先進企業の間では脱炭素化は企業戦略の柱の一つになっていた。
② Zero Emission Vehicle(ゼロエミッション車)
排出ゼロと言えば、長年カリフォルニア州が標榜してきたZEVが注目だ。そのZEVは2018年からCO2排除が一層強化される。これまでエコカーを引っ張ってきたHVすら排除し、EV 、PHV、 FCVに絞られる。折しも昨年12月、トヨタはクルマに関わるCO2排出ゼロを目指す「環境チャレンジ2050」を打ち出した。やがて、ガソリンエンジンだけで走るクルマは消える運命にあるという。クルマは脱炭素化へ向けて走り始めていたのである。
余談だが、脱炭素化は大空でも始まった。太陽エネルギーだけで飛ぶ「ソーラーインパルス2(Si2)」が、南京、名古屋、ハワイ、カリフォルニア、ニューヨークを経て、6月23日には71時間8分掛けて6765㎞の大西洋単独飛行を成し遂げ、無事スペインのセビリアに着いた。油を一滴も使わず大西洋を横断したのはあのリンド・バーグの初飛行を上回る航空界の快挙である。エジプト経由ドバイに戻れば晴れて世界一周が完成する。Si2の飛行によって排出ゼロはもう夢ではないことを証明したのである。
③ エネルギーの転換
昨年11月、英エネルギー気候変動大臣は、2025年までに全ての石炭火力発電所を廃止すると発表した。存続が許されるのはCCS 付きのみだ。既に消費電力の4割をREで賄うデンマークでは2030年までに石炭を排除し、2035年までには電力と熱を100%REで賄う計画だ。2000年にRE最優先の法律を施行し、エネルギー・ヴェンデ(転換)を進めるドイツでは既に3割超がRE電力であり、2050年迄には80%を目指す計画だ。欧州各国では、RE100%は可能なのかの問題ではなく、いつまでに実現すればいいのかの国家戦略の現実的選択肢になっていたのである。
この政治の決断を支えてきたのがREの実績である。REN21の年次報告書(Renewables 2016)によれば、2015年末におけるREの発電設備容量(除く水力)は785GWとなった。前年より120GWの大幅増加である。内、風力は433GW、太陽光は227GW、バイオが106GWである。GDP世界第3位の日本の総発電容量(除く自家発電など)の約230GWと比べるとその大きさが分かる。同時点での世界の原発の設備容量は382GW。単純比較だがこれもまた凌駕した。
このRE急拡大を支えてきたのが投資ラッシュだ。これもREN21の数字だが、昨年1年間だけで2860億㌦のニューマネーが投入された。2005年以降の11年間ではなんと2兆2680億㌦にもなる。REは今そこにある現実なのである。
こうしたエネルギーの主役の交代は一層進む。この6月、ブルムバーグ新エネルギー金融(BNEF)が非常に興味ある予測を発表した。発電用の化石燃料への需要は向こう10年以内にピークアウトすると。その理由は投資額の違いにあるようだ。REへの投資が2040年までに7.8兆㌦にも達するのに対して、化石燃料への投資は2.1兆㌦に留まる。その結果、2027年頃までには風力と太陽光発電の「新設コスト」が、石炭と天然ガスの既存設備の「運転コスト」を下回ると。エネルギー分野での脱炭素化は技術と価格の両面で着々と進んでいるのである。
④ 金融の改革
1992年、リオサミットを機に生まれたUNEP Finance Initiativeの登場で金融のグリーン化は本格的に始まった。これまでの四半世紀で忘れてはならない業績は、2006年の「責任投資原則(PRI)」だろう。PRIはそれまでのお金にお金を生ませるお金だけの世界であった投資に、お金以外の要素、即ち、環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)を持ち込んだ。PRIの登場はお金のことお金だけで考える時代の終焉であり、お金をお金以外のことで考える新時代の始まりであった。
そうした中で、近年、機関投資家の行動が厳しさを増している。例えば、石炭関連企業からの投資引き揚げ(divestment)である。昨年央、ノルウエー議会は同国の国民年金基金の運用先から石炭関連企業を外す決議をした。今年4月、世界14か国の52社(内、3社は日本の電力会社)の除外リストが公表された。石炭関連からのダイベストメントは今燎原の火の如く世界に広がっている。
投資銀行に比べ遅れていた商業銀行でも監督行政の見直し議論が始まった。 グローバルに業務を展開する国際大手銀行(日本ではトップスリーの大手銀行)を管理するバーゼル規制の見直しである。ごく単純化していえば、銀行貸し出しの審査プロセスに気候変動リスクを反映させるべしという議論である。財務的に健全であれば貸し出しに応じていた銀行が、CO2などを反映させると、結論が逆転する時代が始まるのである。
そうした中で注目すべきは、金融安定理事会(FSB)による気候変動関連情 報の在り方作りである。昨年末、ブルンバーグ前ニューヨーク市長を座長にタスクフォースチームが設置され、金融と企業との間で交わされる気候変動関連情報の遣り取りはどうあるべきかの検討が始まった。この3月末に7つの原則などが公表され来年2月には完成する。そうなれば、財務情報だけの時代は終わり、気候変動リスクが新しい判断ファクターとして登場する。その結果、これまでは「承認」だった投融資案件が、「否認」となり、「否認」だったものが「承認」となる。脱炭素化の流れを金融で支えるべく、金融自身の変革が始まっているのである。
⑤ 企業会計原則の見直し
ところで、人々や社会を動かす上で欠かせないのが適切な情報である。脱炭素化を進めるための企業の情報開示の革新が始まっている。英国から始まった国際統合報告書(IIRC)然り。世界で初めて投資家に気候変動関連情報の義務的開示を求めた仏国の「グリーン成長のためのエネルギー転換法」然り。
中でも、注目すべきは米国で進むサステナビリティ会計原則審議会(SASB)だ。発足以来満5年が過ぎ、10セクター/79業界についての暫定原則が完成し、SASBの基準作りは第二ステージに入った。折しも、米国証券取引委員会(SEC)が始めたレギュレーションS-Kに関わるパブリックコメントにはサステナビリティ情報の開示の在り方が含まれる。企業評価にCO2が組み込まれれば、ビジネスの脱炭素化が一層進むに違いない。SECとSASBの連係プレーから目が離せない所以だ。
(注)SASBとFSBのタスクフォースチームのヘッドはブルムバーグ氏が兼ねる。 単なる偶然ではあるまい。
⑥ 炭素の価格化
COP21のサイドイベントで注目を集めていたのが炭素価格化である。脱炭素化を実現する手段としての炭素価格化は既に世界のコンセンサスとなっており、世銀によれば40か国・地域(含む東京都)で排出権取引(C&T)が始まっている。アジアでは昨年初めに韓国が取り入れ、中国は現在のパイロット事業を来年には全国レベルに引き揚げる。その一方で、個別企業でも社内での炭素価格化が始まっている。
C&Tと並ぶ炭素価格化の手法である炭素税も広がる。日本でも地球温暖化対策税と称して化石燃料に炭素税が課され、その税収はCO2排出削減に使われている。パリ協定はCO2排出は悪いことだという価値観を生み出し、どこに課税し、どこに税収を使うのかの課税の在り方にも大きな転換が始まる。新たな社会正義の下、脱炭素化を課税理念の見直しで進める下地が整いつつあるのである。
⑦ 企業経営の変貌
2015年版のハーバード・ビジネス・レビューの世界のベストパーフォーマンスCEOランキングに異変が生じた。前年第1位だったアマゾン社のジェフ・ベゾヌが87位に急落、代わってトップに躍り出たのがノボ・ノルデイスク社のラース・レビアン・ソレンセンCEOだった。
その理由が素晴らしい。ESGが選定基準に新しく組み込まれたからだと。ノボ社は糖尿病の薬で世界的な製薬会社で、いわゆる「トリプルボトムライン経営」で有名だ。ソレンセンCEOが言うには、企業経営者は短期と長期の組み合わせでものを考えるべきであり、そうすればするほど、財務、社会、環境の3つの責任を同時達成する経営をせざるを得ないのだと。その証の一つが、同社のデンマーク国内工場の100%風力発電操業である。同社のトリプルボトムライン経営は定款に書き込まれており、その本気度は本物である。
近年の経営哲学の転換を象徴するもう一人がポール・ポールマンだろう。彼が率いるユニリーバ社はリプトン紅茶などの生活用品の世界的メーカーだ。彼曰く、「これまでの企業は社会や環境を搾取してきた。これからの企業は、社会や環境に貢献するものでなければならない」と。事実、10年間で売り上げは倍増させるが、その間のCO2排出などの環境負荷は半減させることを標榜した“Sustainable Living Plan 2020”を目下実践中である。
これら二人のCEOを観ていると、ビジネスの世界で静かな経営革命が進み、脱炭素化への地ならしが始まっていたことがよくわかるのである。
さて、COP21の会場やメディアでよく目にした言葉がある。“We mean Business”であり、”Paris means Business”であった。これらは、「パリ協定はビジネスの将来を左右する、ビジネスにとってリスクでもありチャンスでもある」といった表向きの意味に加え、「ビジネスは真剣だぞ」との脱炭素化に取り組むビジネスの強い意志が込められていたのである。
(注)”I mean business”と言えば、「私は真剣だぞ。やるぞ」という意味になる。
こうやって振り返ってみると、パリ協定の排出ゼロはCOP21の会場で突然生まれたのではなく、先を読むビジネスや機関投資家が既に取り組み始めていた現実から生まれてきたことが良く見えてくるのである。
とすれば、パリ協定はこれらの流れに世界が挙って公的な認知を与えたという意味で極めて歴史的な出来事であった。決して実現できそうにない目標を形だけ格好良く掲げたのではない。寧ろ、残り時間が少なくなってきた地球温暖化との戦いに勝つためには「これしかない」という切羽詰まった覚悟の上での選択だったのである。
京都議定書から18年、195か国/地域が一致して採択したパリ協定の重みを改めてひしひしと感じるのは筆者だけではあるまい。COP21直後に東洋の某国の政府高官が「パリ協定はたいしたことにならずに良かった」とうそぶく話を仄聞した。こんなことでは国の将来が危ぶまれる。21世紀地球社会は脱炭素化を軸に動き始めた。国であれ、地域であれ、産業であれ、企業であれ、個人であれ、この問題は避けて通ることは許されない。それどころか、脱炭素化で他を引き離すところだけが競争に勝ち繁栄を手にする。
安心・安全な世界があっての日本の繁栄である。そのことを片時も忘れてはならないのである。