近づくESGデューディリジェンスの義務化
上智大学 名誉教授
上妻 義直
1.EUの企業デューディリジェンス法
EUではデューディリジェンスの実施を企業に義務付ける法律の制定が2021年中に予定されている1。
デューディリジェンスは企業等の組織におけるリスクマネジメント手法であり、よく知られているのは事業活動に起因する人権侵害の予防メカニズムである人権デューディリジェンスである。人権デューディリジェンスの考え方は国連の「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」に由来し、事業活動が人権に及ぼす悪影響(人権リスク)を企業自らが特定し、それ防止、軽減すると共に、そのリスクにどう対処したかについて説明責任を果たす(報告する)プロセスである2。
しかし、EUの企業デューディリジェンス法構想では、当初から人権だけでなく環境もデューディリジェンスの対象リスクに含めており、現在、その範囲はガバナンス3にまで拡張されようとしている4。その意味で、EUの企業デューディリジェンス法は、単なる人権デューディリジェンス規制に留まらず、対象リスクの特性からESGデューディリジェンスの様相を帯びている。
この点について、OECD多国籍企業ガイドラインでは、デューディリジェンスの対象リスクに同ガイドラインのESG課題がすべて含まれることを示唆しており5、人権デューディリジェンスをESGデューディリジェンスの一形態として捉えている。それを前提にすれば、人権デューディリジェンスからESGデューディリジェンスへの展開は、リスクマネジメント範囲の拡張に伴う、当然の進化なのかもしれない。
デューディリジェンスの実施を義務付ける理由は、自主的な対応では企業行動に十分な変化が起こらないことによる6。欧州委員会が2020年1月に公表した調査報告書7では、回答企業の3分の1しか人権・環境デューディリジェンスを実施しておらず、そのほとんどがデューディリジェンス範囲を1次サプライヤーまでに留めていた。日本の現状からすれば、それでも実務が普及しているように見えるが、欧州世論はそう判断していないようである。実際のところ、企業デューディリジェンスの法制化をめぐる欧州委員会の方針は、これまで繰り返し人権・環境デューディリジェンスの法制化を求めてきたEU議会8だけでなく、機関投資家9、産業界10、市民社会11等からも強い支持を集めている。
直近の進捗状況としては、2020年11月にEU議会・法務委員会が具体的な法律案である企業デューディリジェンス・説明責任指令草案(EU議会・指令草案)を起草し、その後、議会で、欧州委員会に同草案にもとづく強制力のある企業デューディリジェンス法案を遅滞なく提出するように求める動議(2020/2019(INL))を審議していた。この動議は2021年3月10日の総会で賛成504対反対79(棄権112)という大差で採択された12。今後は欧州委員会が2021年第2四半期までに法案を公表する予定である13。
2.デューディリジェンス規制の国際的動向
欧州では加盟国レベルでも企業へのデューディリジェンス規制が始まっている。フランスは2017年2月に企業注意義務法(La loi sur le devoir de vigilance)を制定して特定の大規模企業に人権・環境デューディリジェンスの実施を義務付けており、オランダは2018年5月制定の児童労働注意義務法(Wet zorgplicht kinderarbeid)によって、オランダ市場で製品・サービスを販売する会社(外国企業を含む)にデューディリジェンス規制を行っている。また、同様の法令制定を目指すその他のEU加盟国は現在9カ国に及び、EU域外でも英国・ノルウェーに同様の動きが見られる。
もっとも注目すべきは国連の動向である。2011年に国連人権理事会が全会一致で採択したUNGPsは、事業活動に起因する人権侵害への対処手段として、初めて企業にデューディリジェンスの実施を求めた14。しかし、UNGPsが自主的な行動枠組みであり、十分な実効性を伴わないことから、企業による人権侵害は依然として深刻な状況が続いている15。そのため、UNGPsを格上げして、企業の人権保障義務を拘束力のある国際条約にすることが、近年急速に国際社会の関心事になってきた。
2014年7月には人権条約の制定に向けた審議を求める国連決議26/9が採択され、条約案の起草委員会(OEIGWG)が設置された。さらに、2018年7月には条約案(ゼロドラフト)、2019年7月には同改定案、2020年8月には第2次改定案が相次いで策定・公表され、人権条約案の準備作業は現在も進行中である。ゼロドラフトでは、条約締約国に対して、1)企業に人権・環境16デューディリジェンスの実施を義務付けること、2)その履行状況を監視するための国内監督機関を設置すること、3)企業がデューディリジェンス義務に違反した場合の罰則を規定化すること、を要求しており、デューディリジェンスの範囲には自社の事業活動だけでなく、サプライチェーンも含めている17。
3.EU議会・指令草案の概要
EU議会・指令草案は、基本的には国連・ゼロドラフトと同様に、企業にデューディリジェンスの実施を義務付け、加盟国に国内法による監督機関の設置と法律不遵守に対する罰則規定の導入を求めている。
また、デューディリジェンスの実施が義務付けられる企業の範囲には、EU域内で設立された大規模企業、上場する中小規模企業およびハイリスクの中小規模企業が含まれる。ただし、EU域外の企業(外国企業)であっても、EU域内市場で商品・サービスを販売する大規模企業、中小規模上場企業およびハイリスク産業の中小規模企業は、同指令の適用対象となる。なお、零細企業にはデューディリジェンスの実施義務を免除する選択権を加盟国に認めている。
前述のように、EU議会・指令草案の対象リスクは人権・環境・ガバナンスであり、形態的にはESGデューディリジェンスの建付になっている。また、デューディリジェンスの対象組織は全バリューチェーンに及ぶことが強調されており、サプライチェーンだけでなく、バリューチェーン下流もESGリスクのマネジメント範囲に含める必要がある。
興味深いのはデューディリジェンスの抗弁(due diligence defense)を明文化している点である。デューディリジェンスの抗弁とは、「企業が、適切にデューディリジェンスを実施して、相当の注意義務を果たしたと立証できる場合には、無過失責任を問われない」という考え方で、EU議会・指令草案第19条3項によれば、企業が人権侵害・環境破壊・腐敗行為(人権侵害等)を回避するために同指令に準拠してすべての注意義務を果たしたことを立証できる場合、または、企業がすべての注意義務を果たしても不可抗力で人権侵害等が発生した場合には、当該企業は損害賠償責任を免責される18。
ちなみに、国連・ゼロドラフトでもデューディリジェンスの抗弁を認めているが、その適用の可否は裁判所等の司法機関が決定する、としている19。
4.日本企業への影響
EUで企業デューディリジェンス法が制定された場合、日本企業にも大きな影響が出ることは避けられない。
EU域内市場でビジネスする日本企業は、零細企業を除き、業種的に人権侵害等のリスクが低く、かつ非上場の中小規模企業でもない限り、同法の適用対象となって直接規制を受けるからである。しかも、この適用基準では、EUに進出する日本企業のほとんどが規制対象となり、デューディリジェンスの実施を義務付けられることになる。
また、同法の適用を回避できる企業の場合でも、その影響は免れない。同法の適用を受ける企業は、フレームワーク合意方式、契約条項、倫理規定、第三者監査等によって、取引先に自社のデューディリジェンス・プロセスに合致した人権・環境・ガバナンス方針を実行させなければならない20。そのため、EUで操業する大規模な日本企業のサプライチェーンに入る会社は、同法の直接的な適用対象にならなくても、実質的にデューディリジェンスの実施を要求される可能性が高い。
国連が企業の人権保障義務に関する拘束力のある国際条約を採択し、それを日本が批准するのを待つまでもなく、多くの日本企業にとっては、ESGデューディリジェンス・プロセスを構築しなければならない日がすぐそこまで迫っている。
※注釈
1: |
欧州委員会の司法長官による2020年4月30日付EU議会Webinarでのスピーチ (https://responsiblebusinessconduct.eu/wp/2020/04/30/speech-by-commissioner-reyndersin-rbc-webinar-on-due-diligence/)。 |
2: |
UNGPsを参照。 |
3: |
この場合のリスクは、外国公務員等に対する贈賄等の腐敗行為によって、当該国や地域の「健全なガバナンス(good governance)」が損なわれることを指している。 |
4: |
EU議会・指令草案(2020/2019(INL))第1条1項を参照。 |
5: |
OECD・多国籍企業ガイドライン(一般方針の注解14)を参照。 |
6: |
前掲・司法長官のスピーチ。 |
7: |
Lisa Smit et al (2020), Study on due diligence requirements through the supply chain, Final Report, European Commission. |
8: |
European Parliament (2020), Briefings, Human Rights Due Diligence Legislation - Options for the EU. |
9: |
Investor Alliance for Human Rights(運用資金総額4.2兆米ドル)による2020年4月の要請(The Investor Case for Mandatory Human Rights Due Diligence)を参照。 |
10: |
世界的なチョコレートメーカーと関連する認証系NGOが2019年12月に公表した意見書 (Joint position paper on the EU's policy and regulatory approach to cocoa)を参照。 |
11: |
https://d25d2506sfb94s.cloudfront.net/cumulus_uploads/document/v3p20mpf8i/YG-Archive-030519-FernDeforestationAllMarkets065.pdf. |
12: |
提案者であるLara Wolters議員のTwitter (https://twitter.com/larawoltersEU/status/1369715746591412229/photo/1)による。 |
13: |
EU議会の報道発表(20210122PR96215)による。 |
14: |
UNGPsの「指導原則への序文」6項を参照。 |
15: |
European Parliament (2017), Implementation of the UN Guiding Principles on Business and Human Rights, European Union. |
16: |
人権侵害の定義に「環境権の侵害」も含めている(第2次改定案第1条2項)。 |
17: |
ゼロドラフト第2次改定案第6条。 |
18: |
EU議会・指令草案(2020/2019(INL))PE657.191v02-00前文58項も参照。 |
19: |
ゼロドラフト第2次改定案第8条8項を参照。 |
20: |
前掲EU議会・指令草案第4条8項。 |